本格ミステリ作家の古野まほろです。
本格ミステリとは、要は人殺しに係る犯人当てパズルであり、少なくとも謎解きパズルです。ゆえに不健全であり、本質的にいかがわしいものです。実際、戦前は内務省により、出版法・新聞紙法の規定に基づく発売等の禁止処分が行われました。かつて公安警察なり保安警察なりのお仕事をやっていた私としては、複雑な嘆息の出るところです。
しかしながら、他方で、本格ミステリは遊技でもあります。すなわち、趣味人である読者と作者が、あたかも将棋、剣道、クリケット等々のように、ルールとフェアネスを尊びながら、真剣勝負をするものです。
その真剣勝負は、真実を求めるべきという正義と、そのためにインチキをしないという正義、そして前述のルール及びフェアネスを大前提としています。実際、本格ミステリは、上述のように全体主義とは相容れません。本家本元は英国です。つまり本格ミステリは、自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった基本的価値観を大前提とし、あるいはその土壌でこそ花開く文学です。
しかし、大声でその正義を絶叫しない――
これは趣味人の遊技で、しかも本質的にいかがわしい遊技なのですから。私見ではポルノと一緒です。その意味で、まさか大衆小説・大衆文学ではあり得ません。
ここで例えばかの中井英夫は、自著について「健常で健全なこの惑星の住人に迎えられぬ」「これは、いわば反地球での反人間のための物語」と語っていますが、乱歩の「よるの夢こそまこと」同様、こうした淫猥さに係る自覚は、多数派の熱狂なり運動なり狂騒なりと、かなりの距離があります。
ちなみに、中井が学徒出陣で陸軍の参謀本部に勤務させられ、軍事行政の中枢で文学青年をやっていたということもまた、警察官僚であった私にとって格別の意味を持っています。
さらにいえば、私は実は、お客さま一般のために小説を書いてはいません。
上のようなことを考えながら、私がおもしろいと感じる作品、私がお客さまに訴えたい作品を、私の病、体力等の限界、実費等を御納得いただいた出版社さんに、お納めしています。
かつては例えば「尊敬するあの先生に認められたい」「この先生にも認められたい」という強い動機がありましたが、その願いは全て叶えられましたし、私の残りの人生と、私が責任を有する人々に必要なリソースはもう知れています。なるほどお金はあって困ることがありませんし、賞その他の名誉もまた、くれるというならよろこんで頂戴しますが、時流だのべんちゃらだの営業スマイルだの多数派だの業界団体だのパーティーだの閥だのは、官僚を辞めた今、御免こうむります。もう一生分以上やりました。
それらを前提とした上で、なお通ってくださる嬉しいお客さまと、いかがわしい遊技の真剣勝負をしたい。それが私の営業です。
最後に、私は、ひろく小説家としては、夏目漱石に私淑しています(ひろく歴史上の人物としては、徳川家康、大久保利通、昭和天皇、ディズレーリ、チャーチル、サッチャー、フーシェ、メルロ゠ポンティ、ピアフ……)。三河者、幾度もの転校等、東大、松山行き、欧州留学、激昂型、そしていわゆる「神経衰弱」等々は、今はそこそこの障害者であり、いよいよ文筆にまでその影響が出てきた私にとって、範とさせていただくに余りあります。漱石は大の探偵嫌いでしたが、例えば「彼岸過迄」ほど人のこころを探偵した作品はないでしょう。
その漱石は49歳で死去しました。
心身が弱まり、引退なり死なりを思わない日のない私ですが、さいわい好事家の常連さんもいらっしゃいます。これから出会える常連さんもおられるでしょう、きっと。
ゆえに、あまりガンバラナイで、その歳までは、どうにかキーを叩いていたいと思います。以上、所見と御挨拶でした。
Tout le monde dans sa vie cherche
quelqu’un afin de ne que rester seul,
ainsi que le genre humain lui-même.